他者が人間になる瞬間でかまして 2021/7/8

他者が人間になる瞬間

新しくワーク?が始動したのだがまだメンバーに対しては他人だなーという感想だった。しかし、今日の業務中、チームの人が素早く完成度の高い表計算シートを作成してくれたタイミングがあった。それに対して、ほかのメンバーが自分の編集するセルに

「エクセル職人さすがです」と書いて、20秒くらいしたらこっそり消していた。

みーちゃったみーちゃったーと思ったが、消していた人は急に意識の外にいる完全な他者から「人間」へと、自分の中でランク的なものが上昇した。

エクセル作成者と心理的な距離を詰めようとして、やっぱりスベるといけないしなんか恥ずかしいし、作ってくれた人すごく真面目そうでちょっと堅物な感じだったからやっぱやめとこうかな~、みたいな、人の心の動きを大まかに感知できた気がする。

人の考えていることが、言葉以外の行動から推測できると勝手に精神的な距離が縮まったように感じるのかなと思った。

 

かました」

自分より偉い人と連絡を取る機会があった。基本的には初対面になる予定の状況だったのだが、たまたま一度オンラインでの面識がある人だった。オンラインで関わったときは、そこまで長い時間ではなかったし、画質も荒いし、時期もかなり昔だった。にもかかわらず、向こうもこちらもお互いのことを記憶していた。

というのも、その方との面識の際に、彼は「かまして」いたからだ。

オンラインでの面識といわれて一般的に想像されるのはどんな様子だろうか?
微妙な画質、ヘッドセット、背景は家の中の白い壁紙のところだったり、バーチャル背景で海になっていたり、誰とも絶妙に目線が合わなかったり…そんな感じでリモートは進んでいる。平均的には。でもその時は「かまし」があった。屋外でスマホから、iPhoneのイヤホンでの接続だったのだ。かましている偉い人に対してしたっぱとしてはかっこよさを感じるとともに、インターネッた―としてのわたしは「やってんな~」ともちらと思った。ただ、こちらがネットサーフィンをやりすぎているだけの可能性も多々あるのでその程度だけでかましたと判定することはむずかしいだろう。本当にたださわやかな人だという可能性もあるしね。それも今日でおしまいだ。彼はじかくしてかましていたのだ。日常的にやっていることなら1年前たかが1人の30分を覚えてはいないだろう。でももし自分がかましていたとしたら?かましたったぜ…という気持ちで忘れることはないだろう。きっと今日もそうだったのだ…とインターネットばかり見ている、つまらない自意識の私は思ったのだった。

熱海心配だ

人はいつか死ぬのはわかっているのに災害で亡くなった方をみると心が痛むのはなんでだろうなーと疑問だった。85歳だったらもう大往生じゃないか?と思うこともあったが、なんとなく心にひっかかる人もきっと多いだろう。

大雨で緩んだ地盤がなだれ込む、夜のニュースの映像を見ていたらふと思った。

今まで楽しく幸せに、自分自身をうまく操作し生きてきた人が自分の意志とは全く関係なく、何の準備もできずに突然凄惨な終わりを迎えるのは理不尽でそれまでの幸せに対してあまりも不釣り合いだと思ってしまうかもしれないからかもなー、である。

どのくらい幸せだったのか、どう死にたかったのかとかなんも知らないのにね