新鮮、すみっコぐらし、事故

新鮮

夏がまもなくやってこようとしている。父の趣味が家庭菜園で、この時期は夏野菜の廃シーズンを迎えているため消費しきれないほどの量の野菜たちが毎日収穫されては食卓に並んでいる。

さっきとれたばかりのキュウリとトマトをサラダにして食べるとすごく新鮮でみずみずしく、つくづく新鮮って不思議だなと思う。

新鮮という概念がここまで人口に膾炙したのはきっと冷蔵庫が普及してからなのではないだろうか。食材を一定の鮮度を保ったまま保存が可能になったのは人類の歴史から見るとつい最近のことだろう。

単に保存するだけなら瓶詰や缶詰、砂糖に付けたり乾物として300年前の家の中にもきっとあったと思うが、4日前に揚げられた魚を生のまま食べることは難しかったんじゃないだろうか。

新鮮という概念が登場するとともに新鮮じゃないという概念が登場する。むしろ昔の人々からしたら新鮮じゃないものを日常的に食べることができる=高い保存技術という富の象徴に直結しそうだから、希少性でおいしく感じられたりしたんだろうか、平安時代、ふくよかな身体は飢餓とは程遠い豊かさの象徴ってことでモテたらしいし。

そう思うと家では育てていないからキュウリたちよりは新鮮じゃない水菜もおいしく食べられるかもしれない。

 

すみっコぐらし農園

研修はフルリモートだから、勤務中にすみっコぐらし農園をちょこちょこ触ってもばれない。

昨日、研修はトイレに行く時間もなくて馬鹿みたいなことを書いたが、今日は普通にあった。入社して2日はさすがにセットアップとかで十分に時間が取れなかっただけだと良いな。今日の研修には研修グループに分かれてそれぞれディスカッションをして、内容をまとめたやつを他の班から粗探しされるみたいなワークがあった。本当はそこまで重いワークじゃないからそんなに目くじら立ててやるようなものじゃなかったんだけどね。

大学のゼミで粗探しをされまくり、17時間くらいぶっ続けで書いた論文に「読む価値なし」と書かれて返ってくるなどしていた経験から、「読む価値なし」にならないために自分の成果物に対して粗探しをする癖がついた。

そのせいで他の班の人の粗探しをしているときに、すごーいこまかいことに対してそういう指摘を思いついてしまい、それを質問用紙に記入して送信したのだが「うわぁ自分されて嫌だったことをしてるな~義務とはいえ」と自尊感情が減少した。

まあ大学教授がゼミ生の論文に指摘を入れるのも義務ですがね…

でもされていた指摘はぜんぜん合理的だったから自分としてはゼミの先生好きだったな、みんな恐れてて人気なかったが

とか思いながら左手ではすみっコぐらしという名前なのに農場の中央で仁王立ちしているとかげの下に生えた小麦を収穫していた。

もしバレて首になったらすみっコぐらし農園のせいでクビになったってことで小麦農家にでもなろうかな

 

事故

終業してリビングで文鳥と遊んでいたら突然バーーーんとガラスが粉々に砕け散るような音がして窓に駆け寄った。どうやら家の横にある国道で事故があったらしいかった。

車のパーツやガラスが下りの車線すべてに散乱し、通行の妨げとなっていた。

事故当時者と思しき男性が、それなりの交通量のなかをすり抜けて散らばったパンクの原因となりうるものたちを素手で集めていた。怪我しちゃうな~と思ってほうきと塵取りを持っていこうかとも思ったが、「ほうきのせいでごみ拾いを続行することになり、片付けに気づかなかった車に轢かれでもしたら一番最悪だな」と思ってやめた。しかし、多くの車がガラスの破片を反対車線に出るほどによけていくのを見て、「ガラスを踏んでパンクした車に減速が間に合わない後続車が追突したら今度こそ死人が出るかもしれん、それもまた最悪だな…」と思ってウーンとしていた。考えているうちにパトカーがやってきて、そのあとはみるみると道が片付いていった。
あー今自分、めっちゃ第三者してんな~と思った。