死ぬのが怖いのか、死に接近するのが怖いのか

・親知らず抜歯の検診のため大きな病院に行った

 

・路線バスで病院に向かったのだが、車内仲良しの老夫婦がしゃべっていてほっこりした。

しかし、私と同じ大病院のバス停で下車して私の前を歩き同じ病院に入った。

12番の方、と呼ばれ、奥さんの方が向かったのは入院外来だった。入院受付をするおばあさんを、おじいさんは大きなトートバッグ三つを持ったまま見つめていた。

 

・コロナ禍にもかかわらず多くの人で混雑していて、かなり驚いた

 

・たくさんの病人・老人を前に、彼らも昔は今よりずっと若く健康で麗かな人間であったのだろうと死へのロードマップの一部が垣間見えるようでヒヤッとした 

 

・今の所神経を抜いた歯程度のものだが、不可逆の肉体的損傷を覚悟する瞬間って結構怖い。

絶対的不可逆である死に精神がワンバンしてる気分になる。

 

・となると死ぬのが怖いというのは死を一体どこから死であると定義しているんだろう、生死は白黒はっきり分かれているものではなくグラデーションのように連続していてちょっとづつ死んでいくものらしい。

 

・自分の中の勝手なイメージでは投げられたボールが放物線を描いて飛んだのち、地面にバウンドしてやがて動きを停止するような印象だ

 

・抜歯のような、一回目地面にバウンドするのはきっと死と定義されないだろう。じゃあどこからだ?入院はボールが地面を転がってる感じなのだろうか、死んだことないからわからん